THEマイライフ広瀬哲也

名前:広瀬哲也
生年月日:1973年10月20日(てんびん座)
出身地:福岡県北九州市生まれ
家族構成:3つ上の姉が1人。長男で末っ子です
身長&体重:177.5㎝、79kg
好きな食べ物:納豆(1日に10パック食べて
じんましんが出たぐらい好きです)
性格:温厚のつもりだけど、
「意外とせっかち」と言われます
モットー:「和をもって尊しとなす」
夢:ヤンキ-ススタジアムに行って松井秀喜の
ホ-ムランを見届けることセ-フコ・フィ-ルドに
行ってイチローのヒットを見届けること
(松井は1つ下でイチローは同じ年なので刺激を受けるため)
休日の過ごし方:ヨガマットに転がり固い関節をやわらかくする
あだ名:会社では「ヒロさん」、友人からは「てっつん」です
1973年10月20日、福岡県北九州市で生まれた僕。幼少期、とっても
シャイボーイでした。学校や友達の前では控えめだけど、家の中ではデカイ顔をする、
いわゆる内弁慶な子どもでした。
そんな僕が変わったのは、小4から始めた
野球。団地の少年野球チームに誘われて、
友達といっしょに広場でやり始めました。
あんまり上手じゃなくて、よく
「トンネル」やって仲間に
怒られてましたよ。
教えてくれる人もいなかったので、見よう
見まねの練習の日々!
でも野球を始めてから、どんどん活発な性格になってきたんです。
活発というより・・・お調子モノ??
友達の前で平気でバカをやるようになったし、学校の先生を
からかったり。親に「手伝いでもせんねっ!」って言われても
「野球してくる~」って逃げてました。
中学に入っても相変わらずのお調子モノで、野球部と勉強の両立ができてるぞ!って
ところをみんなにアピールしてました。
特に女の子の前ではクールでスマートな振りをして、野球でかっこつけたりするんだけど、
実はテストで「ピリオド」をつけ忘れるとかのケアレスミスが多くて、
全然“両立”できてませんでした。
・・・できてる“つもり”だったんですけどね
そんな風に調子よく過ごしていたら、
中2の夏に三者面談で先生から一言。
「このままやったら
高校行けんぞ」
ちょうどその時期、練習のしすぎで肘を壊してしまっていて、レギュラーを外されたばかりだ
ったので、Wで落ち込みました↓↓本当に、さすがにまずいなと。
そのとき母には、僕の人生の中で一番怒られたかもしれません。言い訳する元気もなくて、
おとなしく言うことを聞くことに。
それから病院に通って肘の治療を続けながら、少しずつ勉強を始めた
ものの・・・。予想以上に勉強がワカラナイ。。。
学校の授業にも、なかなかついていけない。焦りばかり募って、
だんだん「ずっと勉強サボってたし、今更もう手遅れだよな」
と投げやりになっていきました。
そんなときに、僕の人生を変えたアノ人が現れた!!
そんな状態のまま秋になって、野球部に新しいコーチがやって来ました。
地元大学に通う先輩で、すごく面倒見がいい人だったので、みんなから「アニキさん」
って呼ばれていました。
野球以外のことにも親身になってくれて、進路や受験の話もしてくれました。
アニキさんは野球も勉強も中途半端にしている
僕をよくかまってくれて、ある日「高校行けんか
も…」と悩みを打ち明けたら、
「じゃあ勉強教えちゃろうか」
と言ってくれたんです。さっそく練習後に僕の家
に行って、教科書を開きました。
僕は本当にチンプンカンプンだったので、
それがバレてしまうのが恥ずかしかったんです
が、アニキさんはすごく優しかった!
「そんなあせらんでいいやん」
「できたやん。さっきの問題、ちゃんと理解したからやろ」
と横で勇気づけてくれたんです。
そしたらなんだか急にやる気が出てきて、それから週に一回、アニキさんに
勉強の指導をお願いしました。アニキさんはそれ以外に簡単に一週間ごとの
スケジュールを作ってくれて、宿題も出してくれました。
今思い出しても「本当にいい先輩だったな・・・」と思います。
ここまで面倒見のいい人ってなかなかいませんよね。。
そのとき出された宿題も苦痛じゃなくて、
むしろ「やってやろうやないか!」と取り組めるようになったんです。
中3の一学期の期末テスト。アニキさんと秋~冬にかけて
がんばってきた成果が、なんと全教科85点以上と
いう結果に結びつきました~!
特に苦手教科だった数学で高得点を取れたことが嬉しくて、
すぐにアニキさんに報告。
「おまえ、やればできるやん」
お母さんにも、
「あんた、採点間違ってるんやないと~?」なんて言われました。
すごく嬉しくて、「俺、褒められて伸びるタイプかも」なんて思っていました。
一度良い点数を取るともう落ちたくないと思うもので、それから僕は継続して勉強を続けら
れたんです。
肘もそのころには、ほぼ完治していて、
野球に対するモチベーションも上がりました↑
このときこそ本当の意味で「両立」が
できていたんだな、と思います
野球を続けたかったし、
成績にも自信がついてきたので僕は
少しレベルの高い高校を受けることにしました。
なんと、見事、合格!!
ありがとう…アニキさん。あなたのおかげです!
(実はギリギリで合格だったんですが、それでも
すごい!)合格発表の日はアニキさんがラーメンを
おごってくれて、二人でお祝いしました。
ホクホクの気分でさっそく野球部に入って、
高校生活がスタートしました。
このころはもう「モテたい」なんて考える暇もないほど、本当に野球バカでした。
3年間男子クラスだったこともありますが・・・
夏は全員トランクスで授業を受けたり、ドアに黒板消しをはさんで(ベタすぎ)
女性の先生に落とすイタズラをしたり、やんちゃな男くさいクラス
だったんです。
男子が多かったせいか、野球部は部
員が多くて、レギュラー争いは激し
いものでした。
でも僕は練習後に一人で残ってバッ
ティング練習をするほどの野球バカ
だったので、何とか自分たちの代で
レギュラーに入れました☆
そして、三年の最後の甲子園出場をかけた県大会!
・・・これが、コールド負け・・・・あれれ!?
あの、はがゆい悔しさといったら・・・泣くに泣けなくて、すごくつらかったです。
チームのみんなが写ったその日の写真は、ここには
載せられないんですが、今も大切にしている宝物です。ザ・僕の青春!!
受験シーズンが来て、僕は早稲田大学一つに絞ってチャレンジしたんですが、
残念ながら落ちてしまいました。
それでもあきらめたくなくて、親に頭を下げて、浪人を決意。
予備校と家の往復の日々が続きました。予備校のない日は、
電車の中吊り広告を貼るバイト。
友達と遊ぶことなんか、ほとんどできませんでした。
このままこんな味気ない日々が続くんだろうか・・・
と、ぼんやりしていた初夏、
母から「○○さんとこの翔太くん
(仮名・当時中3)ておるやろ?
時間あるときでいいけさ、
勉強教えてみちゃり~」
と頼まれました。
僕は「そんな余裕はない」と
断ろうとしたんですが、出来の悪い僕の
面倒をみてくれたアニキさんの顔が浮かんで、引き受けることにしたんです。
指導初日、翔太くんは教科書を開いても、なかなか鉛筆をもつ手を動かさない。
何を質問するでもなく、モジモジして、戸惑っているように見えました。
そのとき
「あっ、“どこがわからないかわからない状態”なんだな」と思いました。
それは僕の中学時代と全く同じで、アニキさんを思い出して、
僕自身が励まされた言葉を翔太くんにかけながら、わかるところまで戻って基本的
なことから勉強を教えました。
翔太くんはゆっくり力をつけていき、僕が勉強を教えない日も宿題をきちんとやるように
なりました。
それから半年くらい勉強を教えた翔太くんは、
見事高校に合格!
やったね♪
僕も早稲田大学に
無事入学できました。
「やったな。やればできるやん、俺たち」
お互い嬉しい報告をし合って、盛り上がりました。
翔太くんの笑顔はそれまでで一番輝いて
みえて僕も本当によかったとしみじみ。
そのあと帰り際に翔太くんが「これ、読んで」と手紙を差し出してきました。
手紙を開いてみると
「先生ありがとう!先生のおかげで高校受かった。ぼく全然勉強できな
かったのに、怒らないで励ましてくれたこと、嬉しかった。高校行っても
がんばるから、先生も大学がんばれ」なんて書いてあったんです!
感動して、しばらく棒立ち…「人に教える仕事をしたい」
そのときそう決心したんです。野球以外で初めて、熱い志を持った瞬間でした。
大学が始まってすぐ、先輩の紹介で家庭教師サークルに入りました。はじめは慣れること
に精いっぱいだったのですが、だんだん
「どこにもない新しい家庭教師グループを作りたい」
と思うようになりました。
このころ人生初の彼女ができたんですが、グループ作りに熱中してたら、2か月目で振ら
れてしまいました。
まぁそんな思い出もありつつ、
ついに2年のとき同志たちを集めて
家庭教師グループを結成しました!!
「子どもたちの笑顔がたくさん
見られる、みんなに喜んでもら
えるグループにする!」
これを大きな目標にして、経験の浅い僕たちが、
今のあすなろの前身を作ったんです。
少しずつグループが成長してきた頃、かつてない大クレームが!!
「しょせん、大学生のバイトじゃない!こんなことならプロに頼めば
よかった!」
僕がその電話を取ったのですが、ものすごい剣幕で苦情を言われたのを覚えています。
話を聞くと、どうやらそのお母さんのお子さんが大事な高校受験を控えていたのに試験前
に担当の家庭教師が風邪でダウンしてしまい、ピンチヒッターの先生が向かったところま
ではまだ良かったのですが、その先生が発した一言が問題でした。
「急きょ代理で来たんですが、どこからやればいいのでしょうか?」
人生を左右する大事な試験なのに、怒られるのも
当然です。
僕たちはそのクレームを真剣に受け止めて、何に
問題があったのか・どう改善すればいいのか話し合
いました。
今回の原因は、
「仲間の教え方がひとりひとり違う」
ことが招いたもの。
だれもが同じ基準で教えるためには、
いったいどうすればいいのか・・・
“皆が同じ基準で教えるには、どうしたらいい??”
それまでは「わからないところを教える」という、いわゆる家庭教師としてよくある形
をとっていました。でもそれでは個人の家庭教師と、なんら変わりない教え方になってしま
いますよね。
そこでもう一度、原点にかえって「成績を伸ばすために“本当に必要なこと”は
何か?」を考えてみることに!!教科書に沿った指導、毎日の予習復習、勉強の
やり方をつかむ。そうです、それが一番大事!!
ですが、それだけでは成績は上がらない。本人のやる気と、勉強を継続できる力
が伴って、はじめて自信につながり成績も上がっていく。
そこで、
<1> 現在の進度が把握できる
<2> その時のお子さんの状態が一目でわかる
<3> 苦手な部分・得意な部分が一見してわかる
<4> 担当の先生が意識して教えているポイントが明確にわかる
この4つについて、誰が見てもわかる
「指導報告書」と「予定表」を作りました!
こうして、万が一、担当の家庭教師が指導できなくな
った場合でも、スムーズに引継ぎができるシステ
ムができたんです!!
※現在はさらに改良されています
この一つの成長は、あのお母さんの電話がキッカケ
でした。一度してしまったことは、どんなにお詫びを
しても取り返しがつきませんが・・・
「きちんと問題点を改善して、お母さんやお子さんに
満足してもらえる結果を出すことが、一番のお詫び
なんだ!」
と考えながら、いくつもの改良を重ねました。
そうして、お子さんが自主的に勉強に取り組んで
「勉強って楽しいかも!」と思ってもらえる、当時の「勉強を教えるだけの家庭教
師」から「やる気を起こして、継続する力をつける家庭教師」のグループに成長しま
した!
現在、グループは「あすなろ」として生まれ変わり、「お子さん一人ひとりにピッタリ
のやり方を見つけ出し、わかるまでトコトン教える家庭教師」をモットーに
お子さんのサポートをしています。
もちろん、当初の「子どもたちの笑顔がたくさん見られる、みんなに喜んで
もらえるグループにする!」という信念は変わりません。

僕自身も、あすなろと一緒に一つひとつの経験を糧に、成長してきました。
これからも謙虚さを忘れずに、何事にも本気で取り組んでいきたいと思いますので
よろしくお願いします。
成績アップ実践会 家庭教師のあすなろ代表
●オチャメな一面もあるが、常に先々を考えながら仕事をするリーダー(やまちゃん)
●頼れる!とても精神的に強い!(ガッシー)
●巨人と仕事、命☆(あきなちゃん)
●自分が落ち込んだとき、逃げたくなったときにもとことん向き合ってくれました。
・・・恩師カナ??(イワっち)
●ぱっと見、コワモテ。でも中身はお茶目な頼れるリーダー。人と笑いのツボがちょっと違う
けど、とても接しやすい気さくなリーダー!
(きんちゃん)
●“鉄人・衣笠”ならぬ“哲人・広瀬”とにかくタフです!(あまのっち)

